ここ最近、「他人のペースに合わせる」という、
およそ自分に向かないであろうことを分かったうえで
あえて試みていたりしまして、
案の定 窮屈さと不自由さに参ってしまったので
やめることにしました。笑

こんにちは、アナです。


いや、一人だとあまりに気楽に過ごせてしまうもので…
あまりに合わせなさすぎるから、どんどん一人上手になってしまって、
「人間社会で生きてるっつーのに、これでいいのか?」とか思ってしまって…

で、ちょっと、他人のペースに合わせて動いてみてたんです。
(「何事もやってみよう」精神の現れ)


結果、

『もう、他人のペースに合わせなくてよい』

ということが分かりました。笑


やる前から「そうだろうな」とは思っていたけど、
実際やってみないと…って思ったんだよ!!くそっ!!


これはもちろん、『今の』私の場合です。万人にそう言えるわけではありません。
『昔の』私であっても、違ったと思います。

今の私は、
「もう、他人のペースに合わせなくてよくなった」
ということです。


例えば、ウェルススペクトルで言うと、

赤外線から抜けたい人は真似してはいけません。
まだ他人や周囲に合わせて、いわゆる「一般社会」に求められることを習得する時期だからです。

赤で居たい人にもお勧めしません。
周りの人と合わせないと嫌われてしまいますし、馴染みにくいです。
適当に周囲の反応を伺いながら、なんとなしに生きるためには
他人に合わせることが必要ですから。

オレンジの人も、他人のペースに合わせて、
今度は部下や後輩を導いたり、
他人から求められることに答えたりするので、
「他人のペースに合わせる」ことが求められるでしょう。


なので、
「(時と場合によって)他人のペースに合わせることが必要な段階」もあります。


私の場合は、「もうその辺りをいい加減手放しなさい(あきらめろ)よ」と。
ずーっとサインは来ていたんですけど、
見て見ぬふりをして「いや、でもな~」とかやっていたら窮屈とストレスが爆発しました。

ごめん、もうやらない。笑


思えば、昔から学校や部活動が嫌いでした。

私は、同調圧力というものがとっても嫌いなのです。
「みんながやってるよ」とか、
「普通そうだよ」とか、
もう、そういうのが、ほんとダメなんです。


だからブロック解除屋になれたんだと思うんですけど。笑

(ブロックを外したって、本質的に嫌いなものは嫌いなので
 好き嫌いが皆無になるってことは、よほどの場合ないと思います。
 地球で生きている限りは)


じゃあ、当時から好き勝手に生きればよかったかって言うと、
そうでもなかった。

馴染めなくていじめられたりもしましたし。
(そして「やられる前にやる」といじめ側に入ったり、
 そして先生に叱られたり)

「この方法は使えるな」とか、
「こういうことは止めておこう」とか、
「こういうのとは関わらなくていいや」とか、
「別に孤立したからってどうってことないな」とか、
「私のように全開にせずとも、隠れているオタクは意外といるっぽいぞ」とか、
まあ、色々学びました。笑

(とはいえ、そんな生活は高校くらいから無理が生じてきていてて、
 大学からはもう全然世間からは外れた感じになってきてしまいましたが)


今思えば、私にとっては「学校」という、
非常に合わない環境にいることも大切だったのでしょう。

だって、世間一般を眺めた時には、
「ルールに縛られ、常識に縛られ、周囲に縛られ」という人の割合が多いですから、
『そういった人たちの中で生きる術を身に着ける』というのも大事なのです。

かつ、ブロック解除屋みたいな仕事をする上では、
「そういうものに縛られている人の辛さ・苦しさ」みたいなのを経験することも
大事なことだったのでしょう。
それが分からなかったら、ブロックを外すメリットも語れませんしなあ。


私は正社員というものを経験したことがなく、
バイトですら掛け持ちしまくって、一か所に絞ることがありませんでした。
(金銭的な面もあるんですが、
 一か所にしてしまって固定的な動きをするのが辛かったのも大きいです)

囲われそうになると飛び出してしまって、
常にひとところにとどまらない生き方を選んできたように思います。
(別にバックパッカーのようなアクティブさを持ってきたわけでもないですが)


私が留まることができているところと言えば、
「まあ好きにしなよ」というボスがいるところ。
仕事に限らず、空手とか演劇もそうです。実は。

主宰が「アナ(私)が辞めるなら解散だ」と言っていたのを振り切って辞めて、
その劇団が本当に解散してしまったこともありましたっけ。(遠い目)


空手は、
「来られるときに来たらいいよ~」というスタンスの先輩や、
「もちろん来てくれたらうれしいけれど、空手のために生活が犠牲になってはいけない」
という先生方がいて、皆さん実力は折り紙付きで。

そんな環境だから、かれこれ15年もお世話になることができています。


ボスのことは信頼しているけど、
「ボスのすべてを丸ごと尊敬!」とは限らないですし
(っていうか、全部はわかんないし)
ましてや、そこの同僚とか同期とかを全員好きなわけではないので
その団体の中で仲良しが出来るかどうかは別に関係ない。

「その団体の一員としての意識を持ってどうのこうの」
とか言われるとひっじょーーーに辛い。

団体の意識とマルっと同じ!すべてに賛成!ならいいんでしょうけど、
そんなところに出会ったことがないもので。


自分の好きなところに、自分の好きなペースと距離感で関わりたい。
それを許してくれる人と関係が持てているのなら、
変に他に交流を持つ必要もないんだなと。

「無理だ!」を感じることができたので、
そういった感じで、ようやく納得できました。

やっぱねー、自分で経験しないと頭ではわかってても納得できないことってありますよねえ 笑


もちろん私自身、ブロック解除を習得するまでは、
「皆が~」「周りが~」「普通は~」という考えに縛られている部分もあって
世間になじみたい気持ちもあったり、でも窮屈な思いもしたりと、
ガタガタ道を生きていました。

その辺りが落ち着いてきた今は、
もう開き直って「外れた道を一人で気ままに生きればいい」のだなあと。
今はそういう時期なのだなあと。

相変わらずじたばたしたんですけども、ようやく腑に落ちた次第です。笑